熱しやすくて冷めやすいっていろいろ損してる感じがする

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Wizardry#1が今でも最高のゲームと思っている その4

Wizを卒業した私はゲームからしばらく離れることになります。
といいますのがパソコンが我が家からなくなるからです。
当時パソコンはとても高価でしてしかも仕事と関係のない趣味でパソコンを使うにはそれなりの覚悟が必要だったのです。

次に我が家にPCが来るのは私が大学生の時、PC/AT互換機という黒船が日本に打ち寄せました。
簡単に言うとIBMが販売していたPC/ATというパソコンの規格を公開する(オープンアーキテクスチャー)によって互換機が普及することなる

IBMは本家を脅かすほどの脅威になるとは思っていなかったようだが、、、

これはペリー並みの大事件でして、前々前回書きましたが対応ソフトの多さがPCの販売数を後押しすると同時に販売数の多さが対応ソフトの充実を後押しするというヒヨコが先か卵が先かという話ですね
これまでNECはPC-88PC-98と8ビット16ビットともにメインストリームを突っ走りシャープ、富士通を蹴落としてすでに安倍政権並みに1強となっていたわけですが、そこにPC/ATという名の技術力があれば飛び込み放題という受け皿を用意してきたわけですから、、、、今NECが傾いているのは少なからずこのころのショックが影響していると私は勝手に思っています。
いずれにせよ父がマイクロソフトのフライトシュミレーターがやりたいとPC/AT互換機を購入する事となりました。
さてメーカーはパッカードベル、倍速CD-ROMとハードディスクを備えたSIMMメモリーのモデルです
CPUはDX4という今の人は「なにそれ?」というCPUだが当時はそれでも画期的だったわけですよ
ちなみに周波数は75MHZだったかな~
そもそもPCのパーツ構成を交換するとか当時は考えられなかったわけです。

何はともあれMS-DOSというOSをインストールします3.5FDDが6枚ぐらいだったと記憶しています
その後にWindows3.1をインストールします3.5FDDが10枚以上あったと思います
その後にWindows95のアップグレード版をCDでインストールします
これは社会現象にもなったのでご存知の方多いと思いますが、この当時と今とで基本的なUIが変わっていないのはすごい話ですね

そのうちペンティアム MMXペンティアムなんかが発売されて周波数も166MHZとかにアップしていってどんどん早くなっていきます
このころはまるのがDiabloです、ブリザードが販売していた海外ゲームです。
バトルネットというサーバーに接続してマルチプレイですPK(プレイヤーキラー)という言葉、チート(インチキ)という言葉もこのゲームで覚えました。
当時はそれほど厳しくなかったのです、ですからサーバーでゲームを作って待つ、入ってくる海外プレイヤーにチートアイテムをくれを言うといろいろくれました
中でもZodiacと修飾子が付くアイテムは強力でモンスターの群れの中でもほぼダメージを受けないというある意味面白くないわけです。

ところがそのころ私も就職というぬるま湯生活にピリオドを打つ時がやってきますので、そこからは仕事で汎用機を使うようになります

ゲームなんか1ミリも興味がなくなりデータベースばっかり触るようになります。
Pascalなんて動きませんからCOBOLでガリガリプログラミング、コンピューターに対する興味が急激に失われていきます、、、、、